2020年11月29日

永遠に「世紀のハンサムボーイ」です






まずはこちらをご覧ください。


あるじ少年、小学校の卒業文集です。



題「73年後のぼく」

小学校卒業時なので、当時12歳。
73年後の85歳まで生きるという設定で、
人生のフローチャートを書いたようです。


小学校の卒業文集で人生のフローチャート・・・


あるじ少年は、
当時から少し変わったとこのある子でした。



まあそれはともかく、
少し見てみましょう。




なになに?
27歳でハワイのブルーマーリンにちょうせん
2000ポンドの大カジキを釣りあげる、、、か。




ほう。今度は35歳で
カナダのキングサーモンにちょうせん
54ポンドのサーモンを釣りあげる、、、か。




で、43歳の時に、
大しつげんに住む(正しくは棲む)イトウにちょうせん
1m50cmという記ろくをつくる、、、か。



これをみると、あるじ少年は本当に
釣りが好きだったんだな、
と思います。



ただ・・・

分かる人には分かると思います。
(あたりまえやけど)


そう。

ブルーマーリンもキングサーモンもイトウも、
そのどれもが漫画『釣りキチ三平』の中で、
三平が釣りあげた魚なのです。


それを小学校の卒業文集で、
将来自分も同じく釣るように書く。

『釣りキチ三平』

それは、あるじ少年に
多大な影響を与えた漫画でした。


そして
それだけではありません。



「32歳 北海道に引越しする」
これはムツゴロウさんに憧れてもいたようですが、

しかしのちに、「大イトウを釣りあげる」
との記載があるところから、これはイトウを釣るための
北海道移住でもあるようです。



そうなんです!



やがて大人になったあるじ少年は
36歳の時、
実際に釣りのために移住します。

北海道ではなく九州、
イトウではなくヒラスズキという
違いはありますが。


そう考えると、
大人になったあるじの人生もまた、
漫画『釣りキチ三平』に、
とてつもなく大きな影響を受けているのです



その漫画『釣りキチ三平』の作者
矢口高雄氏が、去る11月20日
お亡くなりになられました。


氏自身もまた、漫画家という夢を追って
銀行を辞め、故郷の秋田から単身東京へ
出られたそうです。

そのときの心境を自叙伝で語られています。
「不安と孤独で、夜な夜な枕を濡らした。
それがいつわりない姿でした。」と


12年前のあるじもそうでした。



矢口先生、たくさんの夢と勇気を
ありがとうございました!
世紀のハンサムボーイ忘れません。


ご冥福をお祈りいたします。








そしてあるじは今日もまた、
ヒラスズキ釣りに出かけるのです。





今回は風来望から歩いて行ける地磯に釣行。
しかしサイズ、数共にイマイチ。
60㎝弱を筆頭に4本でした(他2バラシ)。

友人たちにも釣果を聞きましたが、
ヒラスズキも調子悪いようです。
なんとか釣れるって感じです。




実は今、カヤックフィッシングの調子もイマイチ。
本格的な冬を前に、
荒食いの好シーズンのはずです!

なんですけどねぇ・・・



どうしたんでしょうか?










それでは。

  
Posted by 風来望あるじ at 12:22Comments(0)天草天草西海岸釣りキチ三平